セルジュ・ルタンス
フェミニテ・デュ・ボワ


D’s SCORE(7.0 / 7.0)
紫の森で見つけた
美しき二律背反

夕暮れを過ぎた部屋。窓の外では、青から紫へと沈みゆく空が、裸の木々を黒い影に変えている。古い木の机。その上に置かれた一脚のグラス。底には、飲み残した赤紫の液体がほんの少し。
部屋には誰もいない。聞こえるのは、時計の針と、遠くを走る車の音だけ。暗い部屋の棚に並ぶ無数の香水ボトル。それらをじっと見つめながら、ふと思う。

「自分が本当にうっとりとするような香りは、どこを探してもないんじゃないか?」
「たとえ見つけたとしても、それが周りからよいと思われることはないんじゃないか?」
「ならば、自分は何のために、狂ったように香りを探し続けているのだろうか?」
二律背反である。二つの相反する推論が、等しい合理性と妥当性をもって存在する。そして、それゆえに自己矛盾へと陥ってゆく。堂々巡り。ドグラ・マグラ。
そんなとき、この「フェミニテ・デュ・ボワ」に出会った。涙が出そうになった。これまで味わったことのない香り。冷たく、清々しく、たおやかで静謐な、とても美しいウッディ。
セルジュ・ルタンスが資生堂時代に生み出した「フェミニテ・デュ・ボワ」。その原型には、ピエール・ブールドンとクリストファー・シェルドレイクが関わっている。その名は、「木のフェミニティ」。言いかえれば、木のもつ女性らしさ。
1992年、資生堂から発表されたこの香りは、当時としては大胆な女性向けウッディだった。花を中心に女性らしさを描くのではなく、木そのものを中心に据えて、そこに果実や花やスパイスを重ねてゆく。華やかさではなく、木の暗がりの中に女性性を探す。そんな逆説そのものが、この香水の始まりだった。
時を経て2009年、「フェミニテ・デュ・ボワ」は資生堂を離れ、セルジュ・ルタンス自身のブランドから、涙形の瓶を脱ぎ捨てて再び世に出る。かつて彼が語った「欲望は、私から去ることはなかった」という言葉のとおり、木への思いは一度も消えたことなどなかったのだろう——ただ、姿を変えて戻ってきただけなのだ。
初めて肌に乗せたとき、何の前知識もなかった。最初に感じたのは、品のいいウッディ。鉛筆のような乾いた木でもなく、樹脂の強い清涼感でもない。少しひんやりとしていて、固く、滑らかで、磨き上げられた木。手を触れれば冷たいはずなのに、その奥には人の体温が残っているような木肌。
そこへ、じわじわとスパイスが現れる。クローブやジンジャーを思わせる乾いた辛み。けれど刺激的ではない。空気を静かに押し広げるような重み。その下では、最初からずっと、まろやかなシダーの香りが鳴っている。
そして、そのスパイスが少しずつ静まってゆくころ、ふいに、景色が変わる。スミレ。そして、淡い葡萄を思わせる甘酸っぱい果実。プラムだ。ほんのり甘いのに、明るくない。熟した果実というより、夕闇の中に置かれた紫色の果実。冷たいガラス越しに見るような、少し遠い甘さ。
暗く、静かな、フローラル&フルーティ。初めて嗅いだとき、本当に鼻を疑った。まろやかで、すっきりした木の香り。その上に、淡い紫のベールをそっと重ねたようなスミレと果実。なんていい香り。なんていいバランス。静かで、落ち着いていて、透明で、優しく時間がまどろむような香り。
紫。どうしても、この香りを色にするなら紫になる。深い森の夕暮れ。黒く沈んだシダーのシルエット。その向こうに、まだ消えきらない紫色の空。
その香りが長く続く。オードパルファンだからといって、濃さをこれでもかと主張することはない。柔らかく、長く、たゆたう。ほの暗く、涼やかに。
針葉樹の香りが低い音を一本鳴らし続け、その上をスパイス、プラム、スミレ、やがて甘い樹脂の気配が通り過ぎてゆく。自分には、そんな二つの旋律に感じられる。ひとつは、最初から最後まで続くシダー。もうひとつは、スパイスからフルーティ・フローラルへ、そしてやわらかな甘さへと形を変えてゆくメロディー。二つは完全には混じり合わない。けれど離れもしない。上下二本の平行線が、同じ時間の中を静かに走り続けている。
わかった。二本の旋律が交わらぬまま並んで走れるのなら、二律背反もまた、無理に解く必要などなかったのだ。堂々巡りだったこの部屋の空気を、この香りが静かに、けれど確かに突き抜けていった。
ずっとこの香りに包まれていたい。性別も、年齢も、顔も社会的な立場も、この香りの前では意味をもたない。気にする必要がない。この美しい香りを、ただいつまでも嗅いでいたい。この香りに、ずっと染まっていたい。久しぶりに、そう思える香りに出会った。
二律背反。「自分が一番いいと思える香りを見つけたい」「そして、自分の見つけた香りを誰かにもいいと思ってほしい」。相反していると思っていた二つの欲望。けれど、フェミニテ・デュ・ボワを纏っていると、それらを無理に一つにする必要などないのだと思えてくる。
好きであることと、理解されること。自分の絶対と、誰かの相対。その二つは、交わらないまま存在していていい。
夕暮れの森。道が二つに分かれている。木々は黒く、空だけが深い紫に沈んでいる。分岐点には、黒い瀟洒な服を纏ったひとりの女性。風が長い裾を揺らしている。
右へ行けば、誰かに愛される香り。左へ行けば、自分だけが愛する香り。けれど彼女は、どちらの道も選ばない。ただ、その二つの道が分かれてゆく場所に静かに立っている。
それでいい。
香りは、自分にとっての絶対であり、誰かにとっての相対なのだから。答えのひとつを、フェミニテ・デュ・ボワで見つけた。この香水に包まれている自分自身を、これまで以上に肯定する。
紫の森は、もう暗くない。その向こうに、どんな道が続いていようとも。

たとえ君が、この香りを否定しようとも。

7.0 / 7.0
SERGE LUTENS
FÉMINITÉ DU BOIS
2009
オリエンタル ウッディ
プラム / ヴァージニアシダー / シナモン / ピーチ
クローブ / ジンジャー / バイオレット / イランイラン / ローズ / アフリカンオレンジフラワー
サンダルウッド / ベンゾイン / ムスク / ヴァニラ
クリストファー・シェルドレイク
※1992年資生堂版の原型は、ピエール・ブールドンとクリストファー・シェルドレイクによる制作。

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