ルラボ
アナザー 13


D’s SCORE(5.4/7.0)
都会の片隅に残る
名もなき香り

2010年、パリ。
白い壁。無機質な什器。ラックに掛けられた服のそばには、写真集やアートブック、デザイン雑誌が無造作なほど洒落た佇まいで積み上げられている。ファッションも、写真も、音楽も、アートも、香水も。ジャンルの境界など最初から存在しないかのように、ひとつの「スタイル」として同じ空間に並んでいる。

ここは百貨店でも、ブティックでもない。1997年にパリで誕生し、その斬新なセレクションによって一時代を築いたセレクトショップ――Colette(コレット)。そして、このコレットと深い縁を持つことになる、ひとつの香水がある。
ル ラボ「アナザー 13」。
アナザー13は、とても不思議な香りの香水だ。薄いミント水のようだなと思えば、冷たい金属の匂いがするときもある。しばらくすると乾いた木が現れ、ときにはキンとした酸味を帯びた果実の気配まで浮かんでくる。ところが、そのどれかひとつを捕まえようとすると、もうそこにはいない。
輪郭があるようで、ない。透明なのに、無臭ではない。肌のすぐそばにいるのに、ときどき自分自身からさえ姿を消す。とらえどころがなくて、透明。アナザー13とは、そんな「つかめなさ」そのものを香りにしたような作品だ。
その誕生経緯もまた、少し変わっている。2010年、英国のファッション・アート・カルチャー誌『AnOther Magazine』がル ラボに香水制作を依頼した。両者を引き合わせたのが、コレットのサラ・アンデルマンだった。
AnOther Magazineを率いるジェファーソン・ハックがル ラボで強く惹かれたというAmbroxを核に、調香師ナタリー・ローソンの手で13の素材を組み上げて完成した香り。それがANOTHER 13だ。初回はわずか500本。ル ラボの店舗に加え、Colette、Barneys、Liberty、Isetanなど限られた場所で販売され、その後はコレットと特別な関係を持つ香りとして知られるようになった。
そして2017年、伝説のセレクトショップ「コレット」が閉店する。だが香りは消えなかった。ANOTHER 13はル ラボへ戻り、現在ではClassic Collectionの一本として生き続けている。
一時的な雑誌とのコラボレーションから生まれたはずの香水が、その企画も、販売していた店も越えて残った。まさに「生き延びた作品」。そして今や世界から称賛される香水となった。そんな経歴からして、どこか「ANOTHER」。
では、このアナザー13とは、実際どんな香りなのか。
アナザー13をスプレーする。
最初、自分にはほとんど香ってこない。鼻を近づけると、ようやく分かるほどの薄い水。その中に、ごくわずかに青く冷たいものが漂っている。公式にミントがノートとして示されているわけではない。それでも自分の鼻には、冷たい水の中へミントの葉を一枚だけ落としたような清涼感として感じられる。
強いトップノートが勢いよく立ち上がる香水ではない。静かな水面に、透明な膜が一枚張っているような始まりだ。
数分すると、人肌の上で少しずつ香りに厚みが出てくる。やさしい甘さ、白い花の気配、そして肌そのものがわずかに甘くなったような柔らかなムスク。ジャスミンらしいニュアンスはあるけれど、花束を思わせるほど華やかではない。もっと抽象的で、白いシャツの袖口や、洗いたてのシーツ、人肌そのものを思わせる。
何かが香っているというより、肌の匂いだけが少し美しく補正された感覚に近い。アナザー13がスキンセントとして支持される理由は、このあたりにあるのだと思う。
そこから徐々に存在感を増してくるのが、この香水の中心にあるアンブロキシドの質感だ。
潮。透明な鉱物。水に濡れた石。磨かれた金属。
どれも少しずつ違うのに、どれも完全な間違いとは思えない。天然の海をそのまま写し取った匂いではない。むしろ人間が人工的につくり上げた「海の記憶」のような香りだ。
自然を思わせるのに、自然そのものではない。水を思わせるのに、水ではない。身体を思わせるのに、体臭でもない。本物と虚構、その境目に立つ香り。
そして、その冷たい透明感の奥から、不意に乾いた木が顔を出す。自分の肌では30分ほど経った頃だろうか。つけたことすら忘れかけているときに、どこからともなく香ばしく乾いた木の匂いがする。
湿った森林の木ではない。切られ、乾かされ、薄く削られた木。鉛筆。木製の机。あるいは、新しい本を開いたときの紙。Fragranticaでは実際にIso E Superなどのウッディな素材がベースノートとして挙げられているが、実際に鼻へ届く印象はもっと曖昧で、もっと静かだ。
流れる水の香に、香ばしく温かい木の香りがグラデーションしてくる。
冷たいものと温かいもの。ウェットとドライ。その二つが境目を見せないまま溶けている。ここが、アナザー13のいちばん面白いところだと思う。
さらに時間がたつと、ときおりキンとした果実の酸味も感じられる。ペア、アップル、シトラス。ただし、果汁が滴るようなフルーティーノートではない。遠く、淡く、ほとんど透明。白い紙の上に色水を一滴だけ落としたような果実感だ。そこへアンブレットやムスクの柔らかさ、アンブロキシドの冷たい光、乾いた木の質感が重なり、ようやくアナザー13という輪郭が見えてくる。
けれど、この香水には分かりやすい物語がない。華やかなトップから甘いミドルへ移り、最後に深いウッドへ落ちていくような劇的な展開でもない。気づくと何かが増えている。気づくと何かが消えている。そして忘れた頃に、また不意に戻ってくる。
香水というより、空間に漂う気配。
だからなのだろう。アナザー13は、人によって語られる匂いがずいぶん違う。ある人にはムスク。ある人には木。ある人にはミネラル。そして、ある人には湿ったコンクリート。
自分には、そのどれも少しずつ分かる。
高層ビルの谷間。雨上がりの歩道。地下鉄へ降りる階段。ガラス。鉄。コンクリート。そして、その人工物の中を歩いてゆく人間の肌。
アナザー13には、確かに都会の匂いがある。ただそれは、都会の喧騒ではない。
雨が上がったあとの街。店がまだ開いていない早朝。車の音も人の声も遠く、冷たいコンクリートだけがしっとりと湿っている。人工物ばかりなのに、不思議なくらい静かで、どこか心が落ち着く。
そんな都会の片隅を歩き疲れ、緑のそばに置かれたベンチへ腰を下ろす。ひと息ついて、鞄から一冊の雑誌を取り出す。木製のベンチ。まだ少し湿り気を残した都会の空気。ページをめくる指先。
そこでふと気づく。
この香りは、「本」といくつもの場所でシンクロしている。
水のような透明感。そして乾いた木の香り。木から生まれた紙。わずかに液体を思わせるインク。冷たいものと温かいもの、ウェットとドライが同時に存在しているところまで、どこか似ている。
いや、本というより――雑誌。
厚く、滑らかな紙。わずかに光を反射するコーティング。漂白された白い紙の乾いた匂い。その上に刷られた黒いインクの、ほんの少し暗く湿った匂い。
ページを開けば、知らない街がある。知らない服。知らない人の顔。知らない思想。知らない美しさ。
洗練された写真が散りばめられた高価な雑誌の匂いをそっと嗅ぐ。漂白された上質な紙の乾いた匂いがする。ツヤツヤしたインクのほんのり暗い匂いもする。美しい写真に彩られたページをめくるたび、たくさんの夢と、まっさらで穏やかな本の匂いが広がっていく。
そう考えた瞬間、それまで捕まえられなかったアナザー13の正体が、少しだけ見えたような気がする。
ANOTHER。もうひとつのもの。ここではない場所。自分ではない誰か。まだ知らない世界。
雑誌とは、ページをめくるたびに「別の何か」と出会うためのものかもしれない。アナザー13もまた、嗅ぐたびに別の顔を見せる。水だったものが木になり、木だったものが紙になり、紙だったものが肌へ戻ってくる。
午後の光の中、ベンチに座って雑誌をめくる。風が吹く。一瞬だけ、自分の肌から何かが香る。水なのか。木なのか。紙なのか。ムスクなのか。確かめようとして手首を鼻へ近づける頃には、もう薄れている。
そして視線を雑誌へ戻し、また一枚ページをめくる。そのとき再び、どこからともなく香ってくる。最後まで、その正体を完全には捕まえられない。だから、また嗅ぎたくなる。
香水らしくない香水。自然ではないのに、不思議なほど人肌になじむ香り。名前のあるものに分類しようとするたび、その少し外側へスルリと逃れゆくスリリングな匂い。
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その香り、別物。 アナザー13。

- BRAND
- LE LABO
- YEAR
- 2010
- CONCENTRATION
- Eau de Parfum
- OLFACTIVE FAMILY
- Oriental Woody
- KEY NOTES
-
ペア / アップル / シトラス
アンブレット / アミルサリチレート / モス / ジャスミン
イソ E スーパー / セタロックス / ヘルベトリド / アンブレットリド - PERFUMER
- Nathalie Lorson

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