エタ リーブル ド オランジェ
ユー オア サムワン
ライク ユー


D’s SCORE(4.3/7.0)
あなたのような誰か
それとも 誰かのあなた

ある日K子は夫のクローゼットの棚の隅に、見慣れない箱を見つけた。
初夏の午後のことである。開け放した窓辺、柔らかな風がカーテンを揺らしていたが、それを見つけた瞬間、背中がすっと冷たくなった。

白いボックスの角に、青い目玉のような模様。K子はなぜかそのブルーアイに見つめられたような気がして、一瞬息を飲んだ。そして、そっとその箱に手を伸ばした。
箱の中にはスクエアなガラスボトルが入っていた。
エタ リーブル ド オランジェ
“YOU OR SOMEONE LIKE YOU”
そう書いてある。銀のキャップをとる。かすかにグリーンな香りが鼻をかすめる。香水だった。
きっと、どこかの女からもらった物だ。
直感的にそう思った。
躊躇なく腕にスプレーした。
すぐにクールなミントの香りと、苦いグレープフルーツの香りに包まれた。その奥から、メロンのような瓜系のみずみずしさが感じられる。
細身のスーツを着た若い男性に似合いそうな香りだと思った。段腹と二重あごが目立ち始めた夫の横顔を思い出して鼻で笑った。そしてすぐ真顔になる。
誰がこんなものを? 夫に?
3分ほどして、香りは少し苦味を帯び始めた。K子がもっているゲランの香水のトップに少し似ている。おそらくグレープフルーツ系の香りだろう、そう思った。
夫はIT関連の企業に勤めていたが、昨年から関連会社に出向している。給料も下がった。事実上の左遷。ただ、若い女性が多い職場だと聞いている。
その中のだれか?
それとも……。
気になってネットで調べてみた。
日本語にすれば「あなた、あるいはあなたのような誰か」。オードパルファム。香水評論家ルカ・トゥリンを追った『香りの帝王』の著者でもあるチャンドラー・バール。その彼が書いた同名小説から生まれた香水らしい。
調香師はキャロライン・サバス。
ただ、この香水は「何が入っているか」を細かく読み解くことより、ひとつの作品として香りそのものを感じてほしい――そんな考え方で作られているらしい。
もともとコスメショップに勤めていたので、ある程度香水の知識は持っていたが、エタ リーブル ド オランジェも、その調香師も知らなかった。
さらに取扱店を調べてゆく。そして、ひとつの店の場所を見つけたとき、K子の指が止まった。
夫の勤務先から、そう遠くない。
偶然だろうか。それとも。
小一時間も調べていた気がする。
腕につけた香りは、深くじんわりとしたグリーンノートを強めていた。そこへ青く冷たい空気のような気配が混じる。少し痺れるような、どこか人工的な透明感。
ふと、ガラス磨きの洗剤を思い出した。
夫の加齢臭を洗浄しようと、若い子がねらったブラックジョークだろうか?
笑えない。
いつのまにか日は傾いていた。居間に射す光が長くなっている。
まだ洗濯も途中。今日やろうと思っていたワードローブの入れ替えも頓挫したままだ。
香水なんてつけたこともない夫のクローゼット。その棚の隅。背の低いK子からは見えにくい位置に置かれていた、この小さな爆弾。
心の中に落ちた黒いインクが、じわじわと広がってゆく。
買ったのは あなた? それとも。
もしもプレゼントだとしたら……。
贈った相手をプロファイリングしてみる。
トップは清涼感のあるミント。苦味を含んだグレープフルーツ。そして、こんもりとしたメロンのようなみずみずしさ。
贈り主は、爽やかさとクールさ、そしてしっとりした雰囲気を好む女性だ。
あるいは――夫に、そのイメージを投影しているのか。
やがて香りは、シャープなグリーンへと移ってゆく。そこに青空のような、冷たく澄んだ空気。
これは、涼しい顔をして仕事をさらりとこなす男のイメージだろうか。
それとも、ナチュラルなものを好む女性?
この青く広がる香りを「包容力」と読んだのだろうか。
夫に、そんなものがあったろうか(笑)?
それとも出向先では、そんなふうに見せているのか。
疑問はつきなかった。
そして静かに、時と香りは流れた。
夜10時。
夫が帰宅。 遅い夕食。ビール。
とりたてて会話もなく、ただ二人の無言をテレビの音が埋めるダイニングテーブル。
いつものルーティン。
不意に、新聞に顔をうずめていた夫が、誰にともなくつぶやく。
「そうそう。今度の土曜日、ゴルフコンペ入った。泊まり」
ちらりと新聞越しに夫の表情をうかがう。
目は新聞に落としたままだ。
K子は立ち上がり、夫が手をつけなかった料理をトレーにのせながら、さらりと言う。
「そう? 幹事はだれ? またいつものように、あなた? それとも……」
一瞬、手を止める。
K子は夫の横顔を じっと見つめたまま言った。
「あなたのような 誰か?」
その瞬間。
ほんのわずかに固まった夫の表情を、K子は見逃さなかった。
彼女の腕からラストのホワイトムスクが、無言のリビングに流れている。
K子は、にっこり微笑んだ。そして言った。

「お楽しみね。どうぞ行ってらっしゃい」

4.3 / 7.0
ETAT LIBRE D’ORANGE
エタ リーブル ド オランジェ
YOU OR SOMEONE LIKE YOU
ユー オア サムワン ライク ユー
2017
シトラス アロマティック
ミント / グレープフルーツ / ベルガモット / アニス
グリーンノート / カシス / ローズ / ヘディオン
ホワイトムスク
Caroline Sabas
キャロライン・サバス

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