イヴ・サンローラン
ゴールド


D’s SCORE(7.0 / 7.0)
黒い夜。
白い花。
そして、金色の蜜。

「ねえ? 白と黒を合わせると、何色になると思う?」
彼女が、ふいにそんなことを言った。

「白と黒?」
「そう」
「そりゃ、灰色じゃない?」
ぼくが答えると、彼女は待っていましたとばかりに笑った。
それから、少しだけ勝ち誇ったように顎を上げる。
「残念。答えは金色よ」
「……いや、灰色でしょ」
「金色なの」
「絵の具の話だよね?」
「香水の話」
ますます意味がわからない。
そんなぼくを見て、彼女は楽しそうにバッグから一本の香水を取り出した。
黒いキャップ。
金色に輝く液体。
「YVES SAINT LAURENTのGOLD」
「〈ル ヴェスティエール デ パルファム〉のひとつでね」と彼女は続けた。「調香師はドミニク・ロピオン。白い花を主役にした香りなんだって」
ただし、何の香料がいつ現れるのかだけは、教えてくれなかった。
「先に答えを知ったら、つまらないでしょう?」
そう言って、彼女はぼくの手首を取る。
シュッ。
「はい。まず自分の鼻で」
「テストされてるみたいだな」
「いいから」
手首を鼻に近づける。
すぐに、甘い香り。
「……ハチミツ」
彼女が笑う。
「へえ」
「甘い。なんか、すごくおいしそう」
もう一度嗅ぐ。
「果物もいるな。瑞々しいやつ」
「どんな?」
「洋梨っぽい」
「なかなかいいじゃない」
ちょっと褒められた。
でも、その甘さだけじゃない。
二分ほどすると、鼻の奥がむずむずしてきた。
「あれ、ピリッとしてきた」
「どんなふうに?」
「ちょっと酸っぱい。それに胡椒みたいな感じ。鼻がむずむずする」
「それはたぶん、ピンクペッパーね」
「結構効いてる?」
「あなたの肌では、そうみたい」
ハチミツと洋梨の甘さの中に、細い針のような刺激が入り込む。
それが少しずつ乾いていく。
「あとさ」
「なに?」
「お香みたいな匂いもする」
「お香?」
「乾いてて、ちょっと香ばしい」
さらに鼻を近づける。
すると、急に昔の記憶が浮かんだ。
「子どもの頃、カブトムシ捕りに行ったんだよ」
「知らないわよ」
「そりゃそうか」
彼女が笑う。
「木の幹から樹液が出てるところを探すんだ。あそこって甘いんだけど、それだけじゃなくてさ、ちょっとツンとして、木そのものの苦みみたいなのがあるんだよ」
「苦み?」
「うん。甘くて、鋭くて、少し酔うような匂い」
彼女はぼくの手首を取り、自分でも確かめた。
「パチョリとかアンバーウッドが、奥から少し見えてるのかもね」
「アンバーウッド?」
「温かくて乾いた、木とか樹脂を思わせるような響き」
「じゃあ、結構当たってる?」
「カブトムシ以外はね」
「そこ、大事なんだけど」
彼女は声を立てて笑った。
けれど。
その樹液のような香りの真ん中に、何かがいる。
まだ姿は見えない。
でも、咲こうとしている。
「……花がある」
「もう?」
「いや、まだ咲いてない感じ」
「変な言い方」
「でもそうなんだよ。すごくいい匂いの花が、これから咲きそう」
彼女は何も答えなかった。
ただ少しだけ、嬉しそうに笑った。
***
しばらくすると、香りの色が変わった。
「黄色い」
「また色?」
「絶対、黄色い」
甘さが一段濃くなる。
熟した果物みたいな、コクのある甘さ。
「黄色いバナナみたい」
彼女がすぐに反応した。
「それ、イランイランかも」
「イランイラン?」
「南の方に咲く黄色い花。粘るような、クリーミーな甘さがあるの」
「だから南の島っぽいのか」
生暖かい風。
大きな葉。
湿った夜。
そんな景色が、一瞬で浮かぶ。
「なんかさ……」
「なに?」
「言いにくいけど」
「言ってみれば?」
「すごく、そわそわする」
「そわそわ?」
「……エロい」
彼女は一瞬黙ってから、吹き出した。
「ずいぶん直接的ね」
「だって、そうなんだからしょうがない」
「香水の言葉なら、”官能的”って言うかしら」
「便利だな、その言い換え」
「覚えておきなさい」
でも、その黄色い甘さの奥で、
また別の花が開き始めた。
今度は、はっきり白い。
「……あ」
「今度は何色?」
「白」
「ほんとに?」
「これは白い」
さっきの黄色い花より、もっと大きい。
花びらが厚い。
薄くてひらひらした花じゃない。
肉厚で、濃くて、どこか生々しい。
しかも一輪じゃない。
暗いところから、
次々に、
次々に、
白い花が開いてくる。
「これ、なんだ?」
彼女が少し得意そうな顔をした。
「チュベローズ」
「これが?」
「そう。GOLDの中心」
白い花が開くたびに、
香りがどんどん濃くなる。
その上から、最初に感じたハチミツの甘さが、
とろりと流れ落ちてくる。
黄色い花にも。
白い花にも。
金色の蜜が、ゆっくりとかかっていく。
「うわ……」
「どうしたの?」
「これ、ヤバい」
「語彙が減ってるわよ」
「しょうがないだろ」
甘い。
痛いくらいに、甘い。
切ない。
心がやわらかく溶けて、
体から力が抜けていく。
「自分がとろけそう」
「大げさ」
「ほんとだって」
彼女がぼくの顔を覗き込む。
「かなりやられてるわね」
「うん」
「まだ終わってないけど」
***
時間が経つと、
香りは少しずつ静かになっていった。
木の温かさ。
柔らかなムスク。
パチョリの暗さ。
黄金色だった光が、
ゆっくりと夜の中へ沈んでいく。
でも、不思議だった。
白いチュベローズも、
黄色いイランイランも、
まだ消えていない。
ハチミツのような甘さも、
ほんのり残っている。
むしろ木とムスクが、
その花たちを大事に包み込んでいるように感じた。
そこで、ようやくわかった。
「……そうか」
「なに?」
彼女が聞く。
ぼくはもう一度、自分の手首を嗅いだ。
黒い夜の中で、
白いチュベローズが静かに花開く。
その奥には、黄色いイランイラン。
そして花が開くたびに、
花びらの奥から溢れてくるのは、
金色の花蜜みたいな濃厚な香り。
白と黒。
その間にあるものは、
灰色じゃなかった。
「いい香りだ」
ぼくは彼女の手首に、もう一度鼻を近づけた。
「君から、金色の香りがしてる」
彼女が、ようやくわかった? という顔で笑う。
「黒い夜にね、白いチュベローズが咲くでしょう?」
「うん」
「すると花びらの奥から、黄色い蜜みたいな香りが、あたり一面に溢れ出すの」
その言葉を聞きながら、
ぼくはもう一度その香りを吸い込んだ。
黒い夜。
白い花。
そして、その中心からゆっくりと流れ出す金色の蜜。
「そうか。それで、黒と白で金なんだ」
「そういうこと」
彼女は満足そうに頷いた。
そして、自分の黒い服を指先でつまむ。
「それでね。私の黒い服に、白い手首」
「うん」
「そこにはさ」
もう答えはわかっている。
ぼくは少し得意になって言った。
「金の香りでしょう?」
彼女はにっこり笑った。
「ううん」
「え?」
「金のブレスレットとか、似合うと思うの」
一拍。
「……は?」
「ほら。もうすぐ誕生日だし」
そう言って、
彼女は白い手首をぼくの前に差し出した。
そこではまだ、
チュベローズとイランイランが、
甘い蜜をまとって咲いている。
香りの答えも、欲しいものも。
彼女は最初から、計算ずく。
そして、いたずらっぽく笑った。

「覚えておきなさい」

FRAGRANCE DATA
D’s SCORE
7.0 / 7.0
BRAND / FRAGRANCE
YVES SAINT LAURENT
GOLD
イヴ・サンローラン|ゴールド
COLLECTION
ル ヴェスティエール デ パルファム
ORIGINAL CREATION
2025
PERFUMER
Dominique Ropion
ドミニク・ロピオン
TYPE
ホワイトフローラル / アンバリー
TOP NOTES
ベルガモット
ピンクペッパー
ペアー
HEART NOTES
ジャスミン・サンバック
チュベローズ
イランイラン
BASE NOTES
パチョリ
アンバーウッド
ムスク




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