ザ・ディファレント カンパニー
ニュイ マグネティック


D’s SCORE(7.0 / 7.0)
惹かれ合う夜には、
理由がいらない。

すばらしい香りには、理由を説明する前にわかってしまうものがある。
ニュイ マグネティック。ひと吹きした瞬間、空気が変わった。
もう一度嗅ぎたい。もう少し近づきたい。
その小さな衝動から、ひとつの情景が浮かんでくる。
深い森の奥。雪に閉ざされた小さなロッジ。
暖炉の火が揺れ、琥珀色の灯りが二人の横顔を照らしている。テーブルには赤ワイン。時折、薪のはぜる音がする。

向かい合って座る二人。グラスを置いた彼女の指先が、ふと彼の手に触れた。ほんの偶然。それなのに、どちらも手を引こうとしない。
暖炉の火が、ぱちりと鳴る。
夜は、まだ始まったばかり。
そこで、ふと我に返る。手首の上で、ニュイ・マグネティックが静かに息づいている。
ザ ディファレント カンパニー。ニュイ・マグネティック。
磁力を帯びた夜。
二人の間に生まれた、まだ名前のない引力。そんな一夜を思わせる、比類なきオードパルファム。
この香りを生み出したのは、クリスティーヌ・ナジェル。エルメスという新たな舞台へ踏み出す2日前、2014年の作品だ。
エルメスの香水クリエーションを担ってきた彼女は、もともと化学の世界から調香師へと転身した異色の経歴を持つ。香料会社の研究室で、香りを分子から読み解く仕事に携わりながら、一流の調香師たちと出会い、技術を磨いてきた。
理論を土台に持つ人が、感性を解き放ったとき、何が生まれるのか。その答えのひとつが、このニュイ・マグネティックだ。そう思う。
興味深いのは、この作品に与えられた「磁力」という発想だ。香料同士が親和性によって引き合い、ときには反発しながら、ひとつの磁場をつくり上げる。
まるで、人と人との関係のように。
では、その磁力が肌の上でどう働くのか。
独特のピラミッド型キャップを外し、肌へスプレーする。
瞬間、ふわりと立ち上がるのは、深い紫色を思わせる果実の香り。
プラムワイン。
熟した果実を漬け込んだ、甘く濃密なリキュールのような匂いだ。ブルーベリーの甘酸っぱさに、プルーンを思わせるねっとりとした果肉感。さらにベルガモットの爽やかな酸味が加わり、その芳醇な甘さに瑞々しい張りを与えている。
そして、この香りには、どこか覚えがある。
セルジュ・ルタンスの名香、フェミニテ・デュ・ボワ。あの、熟した果実と木の香りが溶け合う、暗く官能的な世界だ。
思いがけない連想だった。ところが、ナジェル自身が愛用する名香のひとつにフェミニテ・デュ・ボワを挙げていると知り、妙に納得してしまった。
彼女が愛するもうひとつの名香、アンブル・スルタン。ニュイ・マグネティックの奥底に漂う、やや薬草めいたアンバーの陰影にも、その面影を感じる。
この二作品との共通点は、あくまで香りから受けた印象だ。それでも、ナジェルが愛する香りを思い浮かべると、彼女の美意識の一端に触れたようで嬉しくなる。
濃密な果実の甘さを、ベルガモットが明るく照らし、ジンジャーが細い熱を走らせる。紫色の果実酒に、ひとさじの辛み。甘さと苦さ、冷たさと温もりが絶妙な均衡を保ちながら、幾重にも重なっている。
秋冬の冷えた空気によく似合う、甘く切ないオープニング。
これは、たまらない。
10分ほど経つと、香りの表情が変わり始める。果実の奥から、白い花々がゆっくりと開く。
ジャスミンのふくよかな甘さに、ローズの清涼感。そこへチュベローズを思わせるクリーミーな白さが重なる。花々が引き立て合い、やわらかな芳香を編み上げる。
プラムの残香が花々を包み、ジンジャーの辛みがその形を引き締める。とろけるような果実酒に、白い花びらが一枚ずつ沈むような感覚。
ひとつの香料を追いかけると、別の香料がそっと現れる。そちらに気を取られていると、先ほどの甘さがふたたび顔をのぞかせる。
まるで、見つめ合う二人の視線。
近づいては、少し離れる。離れたと思えば、また惹かれ合う。
その絶妙な駆け引きに、ナジェルの調香技術が光っている。
そして、花々が十分に開いた頃、香りはもう一段、深いところへと降りてゆく。
熟れた果肉が、ゆっくりと熱を帯びる。ジャスミンのふくらみがその甘さを包み、アンバーが下から豊かな陰影を与える。ときおりジンジャーが舌先を刺激するように香り、全体を引き締める。
甘い。温かい。そして、ひどくセンシュアル。
この香水を嗅いでいると、誰かと距離を縮める瞬間の、不思議な緊張を想起させる。
指先が触れる。相手の体温を知る。ほんの数センチの距離が、途方もなく遠く感じられる。
そのわずかな隙間を埋めるには、途方もない勇気が要る。
そして一度、その距離がなくなってしまうと。
もう、元の場所には戻れない。
そんな余韻を残しながら、ニュイ・マグネティックはゆっくりと肌になじむ。
4、5時間ほど経つ頃には、華やかだった果実と白い花が、穏やかに遠のく。残るのは、ややドライなジンジャーの辛みと、肌に溶け込むアンバー。パチュリの落ち着いた陰影を、透明感のあるムスクが薄く覆っている。
ほのかにソーピーで清潔な肌の匂い。濃密なオープニングから、ここまで澄んだ余韻へと移り変わる、その美しさに感嘆する。
このムスクの使い方には、ナジェルがフランシス・クルジャンと手がけたナルシソ・ロドリゲスのフォーハーを思い出す。さまざまな香料の姿が薄れていったあと、ムスクが肌の上に気配を残す。その繊細な表情に、どこか通じるものがある。
やがてジンジャーの刺激も和らぎ、アンバーのぬくもりが淡く広がる。最後に肌へ寄り添うのは、柔らかなムスク。
華やかだった夜が、静かな安らぎへと姿を変える。
最初はあれほど多くの香りが互いに引き合っていたのに、最後にはひとつの温もりとなって肌に残る。
その移ろいをたどりながら、ふと思う。
人の心にも、こんな磁力が働いているのだろう。
香りの残像を追いかけているうちに、あの雪深いロッジの情景が、ふたたび心に浮かんでくる。
暖炉の火は小さくなり、赤い熾火が静かに呼吸している。テーブルには飲みかけのワイン。窓の外では、雪が降り続いていた。
琥珀色のベッドランプ。
温かなブランケットの中、二人は互いの体温を確かめ合うように寄り添っている。彼女の髪には、かすかなムスクの残り香。
彼はそっと、その香りを吸い込む。
もう少し近づきたい。
そう思った瞬間、彼女の腕が彼の背中に回った。どちらからともなく、ふたたび抱きしめ合う。
雪に閉ざされたロッジ。二人の呼吸が重なり、夜がゆっくりと深まってゆく。
ボトルに刻まれた、ひとつの言葉が光りだす。
all night long.
夜は、まだ終わらない。
ニュイ・マグネティック。
求めたのは、どちらも同じ。離したくないのも、どちらも同じ。

離れない、私たちは。
理由はいらない。S極とN極だから。

7.0 / 7.0
ザ ディファレント カンパニー|ニュイ・マグネティック
2014
オードパルファム
フローラル・アンバー(公式)/フローラル・ウッディ・ムスク
ジンジャー、ブルーベリー、ベルガモット
エジプシャンジャスミン、ダマスクローズ、
チュベローズ、プルーン
アンバーウッド、ベンゾイン、パチュリ、アンバー、ムスク
クリスティーヌ・ナジェル




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