スール マントゥ
プードル・インペリアル


D’s SCORE(5.4 / 7.0)
皇帝の粉。
恋心を奪う、静かな媚薬。

もしも、相手を自分に夢中にさせる秘薬があったなら。
あなたは、それを使うだろうか。
ここに、その秘薬のような香水がある。スール マントゥ(Sous le Manteau)の「POUDRE IMPÉRIALE(プードル・インペリアル)」。誕生のきっかけは、十九世紀の古い薬学書に記された「いにしえの媚薬」の処方との出会いだった。

古い地下室の扉を、ひとりの女が開いた。
鍵のかかった書庫。石の壁。蝋燭の火だけが、冷たい闇を金色に切り取っている。その奥には、埃をかぶった一冊の古文書が眠っていた。黒革の表紙は、禁じられた書物のように、長いあいだ誰にも開かれずにいた。
黄ばんだ紙には媚薬の処方が並んでいる。幾世紀ものあいだ封じられていた秘密。その一行一行を読み進めるうちに、女の胸には、ある男の面影が浮かんでいた。
どうしても、あの人の心を手に入れたい。
女は古文書の処方を頼りに、媚薬の調合を始めた。
その古い処方に魅せられたのが、現実の世界では、創業者オリヴィア・ブランズブールだった。ブランド名の「スール マントゥ」は、フランス語で「外套の下」。秘密裏に、ひそかにという意味を持ち、かつて禁じられた書物を人目から隠して持ち運んだ時代をも思わせる。古い媚薬の処方との出会いから生まれたブランドに、これほどふさわしい名もない。
調香を託されたのは、ナタリー・フェストエア。2016年、古い処方の面影を残しながら、現代の感性で仕立て直された一本が、この香りだ。
名は、「皇帝の粉」。
権力、欲望、秘めごと。妖しい想像が次々に浮かぶ名である。けれど肌にひと吹きすると、立ち上がったのは、黒衣の貴人のように端正で、慎ましい気配だった。
では、どんな香りか。
最初に広がるのは、透明感のあるブラックペッパー。酸味を帯びたエレミが重なり、カルダモンの涼やかさが鼻先を抜けていく。ジンジャーの温かみがうっすらと底を支え、香りは熱に酔うことなく、澄んだまま続いてゆく。
胡椒の刺激は、磨かれた銀の刃のように細く冷たく光る。官能よりも先に、張り詰めた知性が立つ。その香りを追うと、古文書の余白に書き込まれた調合比率や、乳鉢で砕かれる香辛料の音まで聞こえてきそうだ。
人は昔から、愛を得る術を探してきた。薬草を煎じ、樹脂を焚き、目に見えぬ力を一滴に閉じ込めようとした。その願いは、今となっては途方もない夢に思える。それでも、誰かの心を引き寄せたいという切実さだけは、いつの時代も変わらない。
そんな人々の情熱に思いを巡らせているうちに、トップの鋭さは少しずつやわらぎ、香りの奥から花の気配が立ち上がってくる。
ほんのりとしたジャスミン。スズランを思わせる、青みを帯びた清らかなフローラル。そこへフランキンセンスが温かな煙のように顔を覗かせ、トップから続くジンジャーのぬくもりに、シナモンの微かな刺激が重なってゆく。香りは次第に、穏やかなスパイシーフローラルへと移ろっていく。
花々は控えめで、白く、ひそやかだ。インセンスがその背後に淡い影を落とし、香りは肌の温度に静かに寄り添ってゆく。その穏やかな芳香から浮かんでくるのは、宴が果て、人々の足音も遠ざかったあとの私室。重たいカーテンの向こうには闇が広がり、机の上では蝋燭の火だけが小さく揺れている。
「皇帝の粉」という大仰な名を思い返すたびに、その慎ましさはかえって妖しく感じられてくる。
本当に心を惑わせるものとは、こういう香りなのかもしれない。
激しく迫るものよりも、知らぬ間に距離を詰めているもの。理性を一瞬で焼き払う激しい誘惑よりも、気づかぬうちに心のひだへ入り込み、静かに存在を広げてゆくもの。プードル・インペリアルには、そんな種類の誘惑を思わせる何かがある。
その気配を確かめるように、香りは時間とともに、ますます肌の近くへと沈んでゆく。
もともと拡散は穏やかで、2時間ほど経つころには、肌からわずか数センチの距離でようやく感じられるほど。その静けさの奥で、プードル・インペリアルはもうひとつの表情を見せ始める。
ラストに残るのは、トンカビーンとベンゾインを思わせる、やわらかなヴァニラ感。ほんのり甘いムスクが肌に溶け込み、シダーの乾いた木の気配が、そのぬくもりを静かに支える。ペッパーの輪郭は丸くほどけ、花々の香りも薄いヴェールのように溶け込みながら、全体はあたたかく甘い余韻へと沈んでゆく。
「粉」という名が、ここで別の表情を見せる。
白い肌にそっと残る温度。静かに降り積もり、触れたものを少しずつ変えてゆく気配。その変化はあまりに穏やかで、心を奪われた瞬間さえ、はっきりとはわからない。
気づいたときには、もう遅いのだ。
目はその人を追い、声を思い出し、ぬくもりを恋しがっている。愛とは案外、燃え上がる炎よりも、こうして静かに根を下ろしてゆくものなのかもしれない。
やがて、古い地下室の闇に蝋燭の火が溶けてゆく。
調合を終えた女の前には、小さな金の壺が置かれていた。古文書には、かつてひとりの皇帝が、愛する者の心を手に入れるために秘薬を作らせたという、古い言い伝えも残されている。
女は壺を手に取った。これをあの人に渡せば、少しは振り向いてくれるだろうか。その瞳に、ただ一度でも自分だけを映してほしかった。
蓋を閉じようとして、ふと手が止まる。
この香りを嗅いだなら、あの人はどんな顔をするのだろう。
確かめるように、壺へそっと顔を近づけた。
甘く、かすかに刺激的な芳香が立ち上がる。蝋燭の炎が揺れ、書斎の輪郭が薔薇色の薄闇に溶けてゆく。
いつからそこにいたのだろう。
気づけば、黒衣の皇帝が目の前に立っている。
その白い指が背中に触れた瞬間、胸の奥が甘く震えた。いつしか深く抱きすくめられ、女はその腕に身を委ねていた。
ずっと、このぬくもりを待っていた気がする。
ふと、誰かに渡すはずだった金の壺を思い出した。
けれど、その相手の顔が、どうしても浮かばない。
女の目にはもう、皇帝しか映っていなかった。
媚薬の調合は、確かに成功したのだ。

気づけば、心は皇帝の赤い爪に柔らかく握られている。

D’S SCORE
5.4 / 7.0
SOUS LE MANTEAU
POUDRE IMPÉRIALE
2016
Floral Woody Musk
(フローラル・ウッディ・ムスク)
ベルガモット、エレミ、カルダモン、ブラックペッパー、ピンクペッパー
スズラン、ジャスミン、インセンス、ヘリオトロープ
ベンゾイン、トンカビーン、シダー、ムスク、ヴァニラ
NATHALIE FEISTHAUER



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