バイレード
モハーヴェ ゴースト


D’s SCORE(5.4/7.0)
砂漠の果てに
名もなき花の香り

地平線まで、何もない。
砂と岩。焼けたアスファルト。電柱も建物も消えた先まで、一本の道路だけが青空を切り裂くように伸びている。かつて幾千台もの車が行き交ったその道の脇で、誰にも気づかれず、小さな花が揺れている。

モハーヴェ・ゴースト。
それはアメリカ南西部に広がるモハーヴェ砂漠に咲く小さな花、通称「ゴーストフラワー」から着想された、バイレードの香り。2014年、調香師ジェローム・エピネットの手によって生まれ、以来ブランドの定番ラインとして販売が続く香水だ。
モハーヴェ砂漠。そこには、死の谷――デスバレーがあり、かつてアメリカの東西を結んだルート66が走っていた。人と車が行き交い、モーテルやダイナー、ガソリンスタンドが灯りをともした「マザーロード」。しかし高速道路網の発達とともに、その沿道には取り残された町も生まれた。看板は錆び、窓ガラスは割れ、誰も来なくなった建物を乾いた風だけが通り抜けてゆく。
そんな土地にも、春になると花が咲く。
ゴーストフラワー。学名 Mohavea confertiflora。
淡い黄色の、どこか半透明にも見える小さな花。だが、この花には昆虫を誘う蜜がない。それでも生き残るために、近くに自生する別の植物「メンツェリア」の花に姿を似せ、その花が呼び寄せるハナバチを横取りするという、したたかな擬態を進化させた。
美しいから生き残ったのではない。生き残るために、美しくなった花。
バイレードの創業者ベン・ゴーラムが惹かれたのも、おそらく「砂漠の花の匂い」そのものではなく、この奇妙な生命のあり方だったのだと思う。ゴーストフラワーそのものがどんな香りを放つのか。調べても、確かな資料を見つけることはできなかった。
ならばこれは、花の匂いを再現した香水ではない。砂漠の片隅で、誰にも知られず生き延びる花。その姿から生まれた、ベン・ゴーラムのイマジネーション・フラワー。
では、その「幻の花」は、どんな香りがするのだろう。
モハーヴェ ゴーストをスプレーする。
最初に現れるのは、透明感のある果実。瑞々しい洋梨を思わせる甘さに、少しクリーミーで、どこかナッツのような温かさが重なっている。冷たい果汁ではない。薄く切った洋梨に、砕いたナッツを添えたような、柔らかな甘さ。
この果実感の中心にあるのがサポディラ(ジャマイカ産の果実で、現地では「ネズベリー」とも呼ばれ、洋梨に似た甘さを持つとされる)。トップ香料の構成を見ると、このサポディラ(ネズベリー)とアンブレットが置かれていることが確認できる。
ただし、ここで面白いのは「南国の果実」という濃厚さがほとんどないこと。甘いのに軽い。熟しているのに透明。手を伸ばせば、すっと向こう側へ透けてしまいそうな果実感だ。
数分すると、香りは静かにフローラルのミドルへ移ってゆく。マグノリア。ヴァイオレット。そしてサンダルウッド。白い花の柔らかさに、ヴァイオレットの薄紫色を思わせるパウダリーな気配。そこへサンダルウッドの滑らかな木肌が重なり、トップの果実を包み込んでゆく。
梨を思わせるフルーティーさには、わずかにシャネル「チャンス オー タンドゥル」を連想するところもある。ただ、こちらのほうがもっと静かだ。輪郭をくっきり描くのではなく、花も果実も木も、乾いた光の中で少しずつ色を失ってゆくような香り。
ただ自分には、この香りがどうしても「砂漠」には思えない。熱く焼けた砂でもない。土埃でもない。むしろ感じるのは、そのはるか上にある空。抜けるような青。そんな情景が思い浮かんでくる。
しばらくすると、淡いフローラルの減衰とともに、アンバー、シダーウッド、ムスクのベースが感じられてくる。同時に、ほんのわずか潮気を含んだような、エアリーな透明感も。
足元には灼けた大地があるのに、香りだけは、その上を吹き抜ける風のように軽い。どこまでも青く広がる砂漠の空。
そこで心にシンクロするのは、映画『バグダッド・カフェ』(1987年、パーシー・アドロン監督)。
人の流れから取り残された砂漠のモーテル。色褪せた建物。埃っぽい風景。何も起こらないはずだった場所に、ひとりの旅人が現れ、少しずつ人が集まり、やがてそこに小さな奇跡が生まれてゆく。
誰からも忘れられた場所だからといって、そこに何もないわけではない。
人は生きている。
花も、生きている。
それが、ゴーストフラワーの姿と重なる。
蜜さえ持たず、苛酷な砂漠の片隅に根を張り、それでも毎年、小さな花をひらく。誰に褒められるためでもなく、誰かに見つけてもらうためでもなく。ただ、そこに在るために。
見渡す限りの砂と岩。古いルートのアスファルトはひび割れ、白線の向こうへ地平線が続いている。赤い車が一台、道端に停まっている。エンジンを切れば、聞こえるのは乾いた風の音だけ。
崩れたアスファルトの際。砂に埋もれそうな場所で、小さな花が揺れている。広大な砂漠に咲く一輪の花。その生きのびるための知恵とたくましさは、『バグダッド・カフェ』にも通じる、「ここが本当のパラダイス」というメッセージのようにも思えてくる。
風が吹く。花弁がかすかに震える。抜けるような青空の下、モハーヴェゴーストの幻の声が、かすかに聞こえたような気がした。

ワタシハ ココニ サイテイル
ワタシハ ココデ イキテイル

FRAGRANCE DATA
D’s SCORE
5.4 / 7.0
BYREDO
MOJAVE GHOST
YEAR
2014
FRAGRANCE TYPE
ORIENTAL FLORAL
TOP NOTES
サポディラ / アンブレット
MIDDLE NOTES
マグノリア / バイオレット / サンダルウッド
BASE NOTES
アンバーグリス / シダー / ムスク
PERFUMER
Jérôme Epinette

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