ゲラン
アンソレンス


D’s SCORE(6.3 / 7.0)
心は、
紫色のままでいい。

こじらせている。
心の中で、いつも何かが戦っている。
「そんなの絶対に許せない」と燃え上がる、闘争の赤。
「もう、どうでもいい」と斜陽を決めこむ、逃走の青。
赤くなったり、青くなったり。
そのときどきの土で色を変える紫陽花のように、心の色も揺れ動く。
けれど、100%の赤にはなれない。
100%の青にもなれない。
二つの色が混じり合って、結局いつも心に残るのは紫だ。
それでいい。
不思議なことに、紫色でいると少しだけ心が落ち着く。

だから人はときどき、紫の香りを求めるのかもしれない。
紫の香り。
そう聞いて、まず思い浮かぶのはスミレだろう。
小さく、うつむくように咲く花。
けれど香水の中では、ときに驚くほど強い存在感を放つ。
バイオレットフィズの紫を思い浮かべる人もいるかもしれない。スミレの甘い香りと紫色を宿したリキュール、クレーム・ド・ヴィオレット。グラスの中に溶けたその色と香りには、どこか現実から少し離れたような妖しさがある。
甘く、少し妖しく、どこか懐かしい紫。
ゲラン「アンソレンス EDP」にも、そんな紫がある。
ただし、これは静かなスミレだけの香水ではない。
アンソレンスをスプレーして、最初に飛び込んでくるのは、意外なほど鮮やかな赤だ。
ベリーキャンディ。不二家ポップキャンディのイチゴ味を思わせる、つるりと赤く透き通った甘さ。
スミレのソリフローレとして知られるグタールの「ラ ヴィオレット」が、青い葉を噛んだようなグリーンの苦味を伴って立ち上がるのに対して、アンソレンスはもっと甘い。
赤い飴玉をひとつ。
紫色のスミレの砂糖漬けをひとつ。
二つを同時に口へ放り込んだような、赤と紫のイントロ。
ところが、その赤を追いかけていると、不意に紫が濃くなる。
「あ、イチゴだ」
そう思った瞬間には、もうスミレ。
スミレを追いかけようとすると、その向こうから白いパウダーが漂ってくる。
おしろい。ベビーパウダー。アイリス。
白。
アンソレンスは、トップからミドル、ラストへと一本の道を下っていくようには香らない。
赤。紫。白。
三つの色が同時に存在しながら、ある瞬間には赤が前へ出て、次の瞬間には紫が覆い、その隙間を白がふわりと横切っていく。
一直線ではない。螺旋。
ふわり、ふわりと旋回しながら、三つの香りが互いを追い越していく。
アンソレンスが「スパイラル」と表現される理由は、この香りを追いかけているとよくわかる。
半球を三段に重ねたような初期ボトルのデザインまで、香りの螺旋をそのまま形にしたもののように見えてくる。
赤、紫、白。
どこから何が飛び出してくるかわからない、紫色の波状攻撃。
……黒い三連星のジェットストリームアタック。
う。また言ってしまった。
でも、あながち冗談でもない。
アンソレンスの面白さは、この三つが別々に香っているようで、決して孤立していないところにある。
ベリーの甘さがスミレへ溶ける。
スミレの紫がアイリスの白へ滲む。
白いパウダーの向こうから、また赤い果実が顔を出す。
スミレを思わせる香りをつくるイオノン系の香料そのものが、フローラルだけでは語りきれない、甘さや果実、パウダリーなニュアンスを持っている。
だから、境界が曖昧になる。
赤なのか。紫なのか。白なのか。
どれか一つに決めようとした瞬間、もう別の色になっている。それが、アンソレンス。
やがて時間が経つにつれ、赤は少しずつ遠ざかっていく。残るのは、紫と白。
スミレとアイリスを思わせるパウダリーな香りが、ゆっくりと肌の近くへ沈んでいく。だが、完全に大人びてしまわない。
遠くに、まだイチゴキャンディの赤がいる。ほんの少し。この赤があるから、スミレとアイリスの化粧めいたパウダリーさが、成熟した女性の香りだけには向かわない。
可憐だけれど、ガーリーではない。
甘い。でもイノセントじゃない。
紫色の花の奥に、赤い果実をひとかけら残したような甘さ。この配合バランスが、見事だと思う。
そして、アンソレンスを長くまとっていると、スミレという花の不思議さを考える。
華やかな香りなら、心まで華やかでいたい。
元気な香りなら、それを受け止める元気がほしい。
ただ、スミレは少し違う。
心がやられている日。答えが見つからない日。何かに腹を立てながら、その一方で、全部どうでもよくなっている日。
そんな日に、紫は似合う。
何も聞かない。励まさない。ただ、そばにいる。寡黙な友。
それがスミレという花の香りに感じる、ひとつの優しさかもしれない。
年度の変わり目。
季節の変わり目。
新しい環境に飛び込んで、自分の居場所がまだ見つからないとき。
心の中では、また赤と青が戦い始める。
戦うか。
逃げるか。
でも、どちらかを選ばなくてもいい。
赤い闘争にも、青い逃走にも疲れたら、白い繭の中へ潜り込めばいい。
そして紫の夢を見ながら、ゆっくり沈んでいけばいい。
アンソレンスは、そんなわがままに付き合ってくれる。
こじらせている。
なんて、すてきなことだろう。
人間はもともと、DNAの二重らせんを抱えた、ねじれた生き物だ。
好きなのに嫌い。信じたいのに疑う。強くありたいのに、誰かに守られたい。
人の心なんて、そんな矛盾だらけだ。
それをきれいに二極化して、赤か青かを決める必要なんてない。
赤と青が螺旋を描きながら絡み合い、やがて紫になるのなら。
それでいい。
空は紫色でいい。
心も、紫色のままでいい。
人間は、不確かな生き物だ。
誰かに理解されなくてもいい。
少しくらい、わがままでいい。
自分の心くらい、自分で守ればいい。
そして――
あなたはあなたの心を守るためなら、
もっと傲慢でいていい。

紫の霧の向こうから。アンソレンスが、そう囁いている。

6.3 / 7.0
GUERLAIN
INSOLENCE EAU DE PARFUM
2008
フローラル・フルーティー
パウダリー・バイオレット
レッドベリー
バイオレット
アイリス
オレンジブロッサム
トンカビーン
サンダルウッド
ウッディノート
モーリス・ルーセル
シルヴェーヌ・ドゥラクルト

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