グタール
ソンジュ


D’s SCORE(5.4 / 7.0)
夢の つづきは、ふたりで。

インド洋に浮かぶ、モーリシャス島。
海から吹く風には、まだ昼の熱が残っている。白い砂浜の向こうで太陽がゆっくりと傾き、青かった海を金色に染めながら、水平線へ沈んでいく。

カミーユ・グタールは、大切な人とこの島を訪れていた。
美しい海。南国の木々。風に揺れる花々。
何もしない時間の中で、張りつめていた心が少しずつほどけていく。
けれど、この旅には、もうひとつの意味があったのかもしれない。
前年の1999年、カミーユは愛する母、アニック・グタールを亡くしている。
フォトグラファーとして生きてきた自分は、このまま自分の道を歩いていくのか。それとも、母が遺した香りの世界へ向かうのか。
母を失った悲しみと、まだ見えない自分の未来。
この旅は、南の島で心と身体を休める時間であると同時に、そんな喪失の中に立ち止まっていた自分から、もう一度歩き始めるための旅でもあったのだろう。
やがて、モーリシャスに夕暮れが訪れる。
太陽が海へ沈み、景色から少しずつ色が失われていく。昼の熱を残した風。その中に、南国の花々の甘い香りが混じりはじめる。
なかでもカミーユの心をとらえた、フランジパニ。
海。砂浜。暖かな風。
そして、夕闇の中で匂い立つ白い花。
その旅で出会った香りの記憶を、ひとつの瓶に閉じ込めるまで、およそ5年。
カミーユ・グタールとイザベル・ドワイヤンが、その香りに与えた名前。
SONGES――ソンジュ。
フランス語で、「夢」。
カミーユは後に、この香りで捉えたかったのは、日が暮れる瞬間だったと語っている。
昼と夜。
そのあわいにある、ほんの短い時間。
ソンジュを肌にのせると、その夕暮れが始まる。
スプレーした瞬間、いきなり白い花が咲く。
いや、「咲く」という穏やかなものではない。
南国の花々が、いっせいに香りを解き放つ。
重く妖しいイランイランの低音。ジャスミンとフランジパニが重なる、甘く濃密な中音。そして、その上を明るくかすめていくティアレ。
幾重にも重なった白い花びらから、むせ返るほどの香気。
嗅ぐ人によっては、マグノリアやチュベローズを思わせるかもしれない。ひとつの花を写実的に描いた香りというより、南国の白い花を大きな花束にして、その芳香をぎゅっと凝縮したようなフローラルブーケだ。
そして、強い。
昨今の軽やかなフローラルに慣れていると、最初は少しひるむかもしれない。
手首やうなじ、デコルテなど、鼻に近い場所へ何プッシュも重ねるのはおすすめしない。付けた場所へすぐ鼻を近づければ、さすがに強すぎると感じる人もいるだろう。
けれど、この濃密さこそソンジュの魅力でもある。
一日分の熱を抱えた南国の庭。
太陽が傾き、空気が少しずつ冷えはじめると、それを待っていたかのように花々が匂い立つ。
甘く、重く、少し妖しい。
夕暮れの短い時間だけ、むせ返るほどの花の香りに包まれる。
ところが。
30分。あるいは1時間。
あれほど咲き乱れていた花々が、すっと遠ざかっていく。
「あれ?」
と思うほど、あっけなく。
白い花びらが夕闇へ溶けていくように、あの濃密なフローラルが静かになり、ソンジュはまったく違う顔を見せはじめる。
花のあとから現れるのは、イランイランの余韻をわずかに残した、香ばしい木の匂い。
そこへ、柔らかくクリーミーなヴァニラが重なる。
けれど、デザートのようなおいしそうな甘さではない。
少し焦げたような木。
ほろ苦さ。
乾いたパウダリー感。
その暗がりに、ヴァニラの柔らかな甘さだけが、ぽっと灯っている。
昼は、もう終わった。
さっきまで白く咲き誇っていた花々は闇の向こうへ沈み、リゾートホテルのそこかしこに黄色い灯りがともりはじめる。
庭園の小道をぼんやり照らす光。
風に揺れる椰子の葉。
遠くから聞こえてくる海の音。
ソンジュの後半に漂うウッディ・ヴァニラには、そんな南国の夜の温もりがある。
前半のフローラルは、およそ1時間でかなり落ち着く。一方、このウッディでクリーミーな甘さは、そのあとも肌の上を静かに流れ続ける。
グタールの香りには比較的軽やかに消えていく作品も多い印象があるが、ソンジュはかなり長く残る部類だと思う。
そして自分が惹かれるのは、むしろこの後半だ。
華やかな白花より、その宴が終わったあと。
花の残り香。
温められた木。
ほろ苦いヴァニラ。
誰もいなくなった夜の庭園を、ゆっくり歩いているような静けさ。
ソンジュという香りをあらためて嗅ぐと、カミーユが語った「昼と夜」という言葉がよくわかる。
これは、ただ南国の白い花を描いた香水ではない。
光が消えていく、その時間を閉じ込めた香りなのだ。
永遠を感じさせる夏の夕暮れ。
南の島に降りてくる夕闇。
旅先の窓辺から見上げた星空。
花と木とヴァニラ。
なぜだろう。
その香りを嗅いでいると、自分が行ったこともない場所、自分が見たこともないはずの夕暮れにまで、懐かしさを感じる。
ソンジュとは、そういう香りなのかもしれない。
誰かに振り向いてもらうためではなく、ひとり静かに、遠い記憶へ帰っていくための香り。
付けるなら、ウェストより下がおすすめだ。
体温で温められた花の香りが、衣服の内側をゆっくり立ち上がってくる。鼻へ届くころには、あれほど濃密だった白花も少しだけ角を失い、柔らかな自分だけのソンジュになっている。
近づいて嗅ぐより、ふと漂ってきた香りを受け取る。そのくらいの距離が、この夢には似合う。
気がつけば、もう夜。
海はすっかり闇に沈み、姿さえ見えない。
真っ暗な海の向こうから、ゴーッという低い海鳴りだけが響いている。
ライトアップされたココヤシの高木が、吹き始めた海風に大きな葉を揺らしている。
オープンエアーの回廊。その隅に置かれた香炉から、細い燻煙が夜気へ立ちのぼっていく。
窓を開ける。
どこからか、甘い花の残り香。
木の匂い。
そして、かすかなヴァニラ。
昼間あれほど鮮やかだった南の島から、もう色は消えている。
それでも、香りだけは残っている。
旅の記憶も、きっとそうなのだろう。
見た風景も、交わした言葉も、少しずつ遠くなっていく。
それなのに、ある日の光や、風や、匂いだけが、何年経っても心の奥に残っている。
そして、ときどき思い出す。
自分がどこから来たのか。
誰を愛していたのか。
これから、誰と歩いていくのか。
夜の向こうで、海が鳴っている。
フランジパニの甘い香りが、風に揺れている。
かつて母と見た夢。
そして今、あたたかな恋人の腕の中で見る、新しい夢。
SONGES――ソンジュ。

夢のつづきは、ふたりで。

5.4 / 7.0
グタール|ソンジュ
Eau de Parfum
2006
フローラル・アンバー
イランイラン、ティアレ、フランジパニ
ジャスミン・サンバック、バーボンヴァニラ
ベンゾイン、シナモン、ブラックペッパー、
クミン、パチョリ
Camille Goutal
Isabelle Doyen




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