ナルシソ ロドリゲス
フォー ハー
オードトワレ


D’s SCORE(5.8 / 7.0)
肌は近い。
心は遠い。

たとえ下着を脱いでも、心までは見せない。
黒いレースで目元を隠し、指先だけを唇に触れる。肌はすぐそこにある。それなのに、最後の一歩だけがどうしても遠い。ナルシソ ロドリゲス「フォー ハー オードトワレ」は、そんな距離をまとった香りだ。

パウダーピンクの箱から現れる、漆黒のボトル。ガラスの内側を漆黒のラッカーで覆われ、中にどれほど香水が残っているのかさえ分からない。
その黒は、ひとつの境界線のように見えてくる。ピンクの薄衣一枚くらい、好きに剥がさせておけばいい。近づけば近づくほど、もっと知りたくなる。そして触れたなら、その奥まで見たくなる。けれど、そこから先には黒い扉が一枚残っている。そんな柔らかな拒絶の黒。
2003年に登場したフォー ハー EDTは、ナルシソ ロドリゲスが最初に世へ送り出した香水であり、いまも代表作として語られている一本だ。
調香はすでに大御所となっているクリスティーヌ・ナジェルとフランシス・クルジャン。核にあるのは、ナルシソ・ロドリゲス自身が長く愛してきたハートオブムスク。その記憶をもとに、キンモクセイ、オレンジブロッサム、アンバー、パチュリ、温かなウッドが重なり、現代的なシプレ・ムスクを形づくっている。
では、フォーハーEDT。どんな香りか?
スプレーした瞬間は、意外なほど静かだ。肌に淡い甘さが広がり、白い花の柔らかさと、空気を通すようなムスクが追いかけてくる。
最初に気になるのはキンモクセイ。ピーチやアプリコットを思わせる熟した甘さの中に、ほんの少し冷たい、金属にも似た感触がある。甘さの奥にひそむ無機質な硬さ。その細い冷たさが、香り全体に奇妙な緊張を残している。
そこへオレンジブロッサム。
白い花びらの柔らかさと明るさ。その奥に、ごく薄い官能。ジャスミンほど濃く沈まず、キンモクセイの果実感と触れ合いながら、肌の上に白い膜を一枚重ねていく。
そして、すべてを包むのが独特の強いムスク、ハートオブムスクだ。
それは、粉をはたいたような柔らかさと、木肌を思わせる乾いたぬくもり。体温に近いところで静かに香り、肌そのものがこの匂いを持っていたかのように馴染んでいく。
面白いのは、三つの気配が順番に現れないところ。キンモクセイも白い花もムスクも、かなり早い段階から同じ場所にいて、時間や体温によって、そのどれかがふっと前へ出る。シンクロノートのように。
ある日は、キンモクセイの冷たい甘さ。わずかにビニールを思わせる鋭さが混じり、少し酔いそうになることもある。
別の日には、白く厚みのある花。
そして時には、ウッディで粉っぽいムスク。そんな日は、驚くほど柔らかい。
そんな揺らぎを追っているうちに、この香りには三つの顔があるように思えてきた。
冷たいキンモクセイが、理性を揺らす。白い花が、感情をほどく。そしてムスクが、もっと深いところにある本能へ触れてくる。
三つの香りが同時に近づき、それぞれ違う場所へ指を伸ばす。
だから、やさしい香りなのに油断できない。
黒いボトルの中で、ムスクのハートが微笑んでいる。
黒いレースのアイマスク。その向こうで、女が笑っている。
目元は見えない。見えるのは唇と、そこに触れる指先だけ。
しどけなく見えて、したたか。
肌は近い。香りも近い。ムスクは体温のように柔らかく、距離をさらに縮めてくる。
近づけば、すべて分かった気になる。
触れれば、心まで届いた気になる。
けれど、その奥にはまだ黒の扉が残っている。
甘く、かぐわしく、少しみだら。
そして、どこか狂おしい。
フォー ハー EDTは、そんな美しい肌の匂いを思わせる。
やわらかく、あたたかい。
その奥に、触れられない場所をひとつだけ残して。
アイマスクの向こうで、唇がわずかに嗤う。
たとえ肌まで許しても、心までは見せない。

少し抱いたくらいで、全部知った気になるなよ と。

5.8 / 7.0
ナルシソ ロドリゲス|フォー ハー オードトワレ
NARCISO RODRIGUEZ
FOR HER EAU DE TOILETTE
Eau de Toilette
2003
Modern Chypre Musk
Floral / Woody / Musky
Osmanthus / Orange Blossom
Heart of Musk
Amber / Patchouli / Warm Woods
Christine Nagel
Francis Kurkdjian
クリスティーヌ・ナジェル
フランシス・クルジャン




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