L’ARTISAN PARFUMEUR | L’APPEL – TOI

ラルチザン パフューマー

ラペルトワ

L’Artisan Parfumeur L’Appel de Toi

6.7 / 7.0

 D’s score (6.7 / 7.0)

 覚えていて
 あなたといた わたし

アブラゼミが 声高に狂想曲を奏でている。

日差しは西へ傾き始めていた。渋滞する国道へ車を入れながら、俺は少し苛立っている。何だって、こんなに混んでいるんだ。大きなため息をひとつ。

たまらない気持ちになって、エアコンを最大にする。コンソールからラペルトワを取り出し、左手首へ吹きつけた。

夏の夕暮れの街

ドライでスパイシーな香りが、車内の停滞を切り刻む。

四川山椒の、舌をしびれさせるような辛み。シトラスと苦みを含んだ、きりりとしたジンの香り。その鋭さが、ささくれだった心にぴたりと重なる。

そうだ、冗談じゃない。俺は急いでいるんだ。

手当たり次第にナビ画面をタッチする。その左手から、ラペルトワの香りが広がっていく。棘のようだったトップは、いつの間にか甘くふくよかな白い花へ。車内の空気を満たし、ぎすぎすした心の輪郭まで、ゆっくりと侵食していく。

「ため息をつく人間は、幸せになれない」

そう言われたのは、いつだっただろう。中学の頃か。昔はしょっちゅう、ため息ばかりついていた。

ステアリングに右手をかけたまま、左手で頬杖をつく。手首の香りが一層強くなり、内なる記憶の海へと誘う。

ああ、そうだ。

いつも口を尖らせ、あまり笑わなくなっていた中学の頃。転校を繰り返すたびに気持ちはすさみ、どこにいても一人だと感じるようになっていた、あの頃。

最大にしたエアコンの音が、急にうるさく感じられた。風量を最小にする。

少しずつ進む車列は、田舎町の野辺送りのような、静かな葬列。

ガーデニアに、酸味を帯びたハニーが混じり合う。甘酸っぱく、みずみずしい。真夏の水蜜桃のように、とろける香り。ラペルトワは絶えず鼻腔をくすぐり、閉じていた心の扉を、知らず知らずのうちに開いていく。

夏。

あの頃から、夏の夕暮れの匂いが好きだった。

日中の太陽に灼かれたすべてのものが、少しずつ冷えてゆく。その匂いが空中で撹拌され、生あたたかく、ねっとりとした夕刻の匂いになる。草木の青臭さ。動物や昆虫の気配。狂おしいほどに濃い、夏の呼吸。

そうだ。クローバーの香りも混じっていた。

白い花を散らした緑の絨毯。手当たり次第に引きちぎった茎の、生臭い匂い。小さな花からは、妖しい蜜の香りがした。

国道が広くなり、気がつけば車線も増えている。ぽつり、ぽつりと、テールランプに赤い光が灯り始めた。ラペルトワは、軽やかな甘さを残している。

メリーを散歩へ連れていっていた頃だ。

夏の夕暮れになると、メリーはいつも散歩を心待ちにしていた。リードをつけた途端、どんどん先へ引っ張っていく。

はは。しつけの悪いコリーだったな。

臆病で、よく吠えた。でも。

メリーの属性は犬だったが、俺にとっては、かけがえのない家族だった。苛立ちと性欲だけで生きていた中学生の頃。あいつは、俺のただひとりの理解者だった。

たそがれどき。クローバーがひしめき合う空地へ出ると、メリーは長い鼻先を緑の海へ突っ込み、わさわさと音を立てて宝探しに没頭した。

俺はただ、暮れていく空を見つめながら、夏の匂いを嗅いでいた。

夏の風に、揺られていた。

前の車が急に停まり、ぶつかりそうになる。強くブレーキを踏む。

そのせいだろうか。胸のあたりに、もやもやとしたものが込み上げる。

ラペルトワは、静かなぬくもりを持つ木の香りへ変わり始めていた。ココナッツを思わせるタヒチアン・ティアレに、軽いムスクを重ねたような残香。そこへ優しいサンダルウッドと、細いお香の煙が重なり、心の奥へ沁みわたっていく。

10年、一緒に暮らした。

最期は、フィラリアで逝った。

ある日、家へ帰ると、玄関を開けた瞬間に空気の重さがわかった。居間は夕暮れなのに灯りもついていない。母と妹が、大きな木箱を抱きかかえるようにして、何度も鼻をすすっていた。

「メリー、死んじゃった……」

妹が言った。

「……ああ」

むすっとしたまま答えた。俺は24歳になっていたが、家族の前では、まだ青臭いガキだった。

「メリーを花でいっぱいにして送ってあげたいから、お花を買ってきて」

母が言った。

「……ああ」

口をへの字に曲げたまま車へ乗り込み、ドアを乱暴に閉めた。キーを差し、エンジンをかける。

車を発進させた。
その瞬間、顔がぐしゃぐしゃになった。
ステアリングにしがみつき、子どものように体じゅうを震わせて、大声を上げて泣いた。

たまらない気持ちになって、エアコンを切る。窓を開けた。

夕暮れの茜色は、ビルの黒いシルエットの彼方へ消えかかっていた。

「海に… 」


眼前の夕日が音もなくこぼれてゆく。

「連れていってあげれば よかったな…」

鼻の奥が、つんとする。 
景色が、じわりと歪む。 

街の音が、よみがえる。

ヒグラシが ひそやかな声でささやいている。

覚えていて。

Top Notes

ジン/四川山椒

Heart Notes

ガーデニア/インセンス

Base Notes

ハニー/サンダルウッド/ムスク

Release

2014

Perfumer

Bertrand Duchaufour/ベルトラン・ドゥショフール

Doggy Honzawa
Perfume Storyteller
「ハートスコープ」は、香りから見えた心象風景。

ここで分類している「ハートスコープ」や「感情」は、ひとつの香水と向き合う中で、自分が受け取った印象です。

けれど、香りにひとつだけの正解はありません。

同じ香りから、あなたにはまったく別の風景が見え、忘れていた記憶がよみがえるかもしれません。

ここにあるレビューや物語が、あなた自身の風景や感情と出会うための、小さな入口になればうれしく思います。
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