ディプティック
オイエド


D’s score (4.5 / 7.0)
ちりん と香る
日本の夏

真夏の午後。
蝉時雨の向こうで、古い駄菓子屋のガラス戸が鳴る。
色あせたビニールのひさし、傾いた木の看板、氷で冷やされたラムネの瓶。ガラス瓶の向こうには、一口ガム、糸引きあめ、小さなチョコ、そして麩菓子。

外は照り返す白い道。それなのに、引き戸を開けた瞬間だけ、店の空気は驚くほどひんやりとしている。
子どもの頃、あの店の中の冷たさが好きだった。
ディプティックのオイエドを初めて肌にのせた瞬間、そんな駄菓子屋の空気感を思い出した。
オイエドは、2000年にディプティックから発表されたオードトワレ。「江戸」と「柚子」を着想源に、日本へのオマージュとして生まれた香水である。
手がけたのは、日本人調香師の亀井明子。高知から海を渡り、フランスで調香師となった女性だ。エルメス《ルージュ エルメス》をはじめ、数々の作品を世に送り出してきた彼女が、「日本」という言葉を香りに託した一本。それがオイエドだ。
それでも、この香りには日本を表現しようとする力みがない。むしろ感じるのは、遠く離れた場所から、ふと故郷を振り返ったような静かな距離感だ。
オイエドをスプレーする。
最初に感じるのは、鮮烈な冷たさ。肌に触れた瞬間、温度が1、2度下がったような錯覚がある。ミントではない。もっと青く透明な冷気。ラベンダーかもしれない。つけた場所だけに、小さな涼風が吹いたように。
そこへ重なる、熟れたマスカットを思わせる甘さ。
最初、この香りを「柚子」だとは思わなかった。浮かんだのは、幼い頃に駄菓子屋で買ったガムだった。四角い小箱に入った、色とりどりの丸いガム。味はマスカット。ときには小さなレモンドロップのようで、ラムネ菓子の甘さもある。そして、ミントタブレットを噛んだときのあの冷たさ。
友達とわいわい言いながら、夢中で口に放り込んだ、小さな駄菓子たち。
あの味がする。
香りなのに、舌が反応する。鼻で嗅いでいるはずなのに、口の中に味が蘇る。そんな不思議な感覚。それが、自分にとってのオイエドだ。
時間が経つにつれ、強烈だった冷気は少しずつ丸くなる。その奥から現れるのは、タイムのハーブ感と、柑橘の皮に似たわずかな苦み。それらが甘さを引き締め、子どもの頃の菓子の味を、少しずつ大人の記憶へと変えていく。
いつだったか。車の免許を取ったばかりの頃、昔住んでいた町を、久しぶりに通ったことがある。
毎日のように通った駄菓子屋は、埃をかぶった古いガラス戸を固く閉ざしていた。店の奥は暗く、棚も、お菓子も、店先でいちも笑っていたおばあちゃんの姿も見えない。
まるで懐かしい記憶そのものに、うっすらと蜘蛛の巣がかかってしまったようだった。
ミドル以降、オイエドの甘さにも、そんな苦みが交じり始める。そうか。これが、柚子なのかもしれない。
柚子は、海外の調香師にとっては、とても日本的な香りの一つだという。日本に暮らしていると、私たちはそのことをあまり意識しない。冬至の柚子湯。料理に添えられた黄色い皮。庭先で熟す小さな実。フルーツとしては主役じゃない。けれどなくてはならないときがある不思議なシトラス。外国で過ごして初めて、その香りが生活にないことに気付き、故郷を思うこともあるのだろう。
そういう意味で、オイエドは、「江戸」を忠実に描いた香りではない。
けれど、日本を離れた場所から振り返ったとき、胸に浮かぶ夏の輪郭とは、案外こんなものなのかもしれない。
少し苦く。
とてもフレッシュで。
そして、ひどく懐かしい。
高知からフランスへ渡った亀井明子もまた、異国の調香机の前で、幼い頃の日本の夏を思い出す瞬間があっただろう。
柚子そのものではなく。
駄菓子そのものでもなく。
もっと曖昧で、もっと身体の奥深くに残るもの。
味。音。光。温度。
遠い日本を呼び戻す記憶の欠片。それらを一滴ずつ重ねながら、この香りは生まれたのかもしれない。
目を閉じる。
聞こえてくる子どもたちの笑い声。縞模様のビニールひさし。氷を浮かべたアルミたらい。その中で寝そべるラムネ瓶。100円玉を握りしめた小さな手。店のおばあちゃんの、やさしい皺と笑顔。
まだ舗装されていない、埃っぽい道。
肩の上で揺れる虫取り網。
音もなく湧き上がる入道雲。
目に眩しい、真夏の陽射し。
一瞬だけ頬を撫で、静かに通り過ぎていく夏の風。
そのとき、駄菓子屋の軒先で
ちりん
涼やかに笑っていた風鈴の音。
オイエドは、扇風機しかなかったあの夏を思い出させてくれる。

ちりん、と香る日本の夏。オイエド。

オイエド
D’s score
4.5 / 7.0
- Brand
- DIPTYQUE
- Year
- 2000
- Concentration
- Eau de Toilette
- Olfactive Family
- Citrus Aromatic
- Key Notes
- ユズ / グリーンマンダリン / タイム / ラズベリー
- Perfumer
- 亀井 明子

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